日本のファスティングでは、
残念ながらただ単に健康増進のプログラム実施するのみです。
それゆえにファスティングと宗教のことなどは、絶対に語ることができない脱宗教、
非神話化社会、これを私は日本教と名付けていますが、
不思議な宗教ご法堂の空気が支配しています。
そしてファスティング施設は全国に少なくとも200を超えますが、
大半は、カロリー制限の手法でダイエットとデトックにのみ中心を置いています。
しかし、これだけの目的でしたら
おのずとファスティング施設に何度もリピートしないと経営は維持でません。
伊豆の「やすらぎの里」で、「うちはリピーター率が高い」と
サイトに書いておられますが、
これはファスティングの本質を全く理解していない
経営者のいう言葉としかいいようがありません。
何度もリピートしなければならないのがファスティングの目的ではないのです。
ファスティングをなぜ日常性の中に生かす指導をしないのか。
また、ヨガばかり指導せず、更に奥深く、広い、
ファスティングの世界を体験させなければならないのです。
ここの経営者はなぜ、
この世界にファスティングが存在しているのか真剣に考えておられるのでしょうか。
今、世界では少なくとも40%の人たちは
ファスティングを年に1回、体験しているのです。
なぜ世界三大宗教、なかでもキリスト教、イスラム教では受難週断食、
ラマダーンを30日~40日間、体験するのでしょうか。
ファスティングを重要な教義として取り入れているのでしょうか。
そもそもファスティングはどこからどのように生まれ、
ファスティングをして何を得られるのでしょうか。
ファスティングすることはその宗教の根幹であり、
ただ単にファスティングするその人の個人だけではなく、
その人の所属する社会、団体、地域、国家まで大きく影響を及ぼす
重大な行為だということを知っているのでしょうか。
「ヨーロッパでは断食は長く忘れられてきた。
それは教会でそれから社会全体で忘れていたのだ」と書いています。
確かにキリスト教会でファスティングを軽んじられてきたのは、宗教改革からでした。
カトリックへのプロテストとして始まったルター、カルヴァンの宗教改革で、
カトリックが修道院を核に1500年も守って来た伝統をなし崩してしまったのです。
もし人間が、ファスティングが
人間性を育てる大切な元金だということを忘れてしまったら、
いつかとり返しのつかない結果を招くにちがいない」とまで指摘しています。
このジャーナリストの指摘は厳し視線で今日の世界に向けて警告しているのです。
ファスティングは悪の攻撃に対する戦いであると同時に、
人間の心を慰め、喜ばせ、明るく元気にするものです。
それは素晴らしい体験を味わうことなのです。
そして精神集中と鋭敏な五感をもたらし、本当の自分自身へ、
自分の魂へと私たちを導いてくれるものなのです。
そのことは自己の感情を再発見する旅なのです。
しかも自分にとって大切な何かを発見する旅なのです。
その時に私たちは最終的に自己を越えて光へ、神へ、
存在するすべての根源へと向かう道を辿ることになるのです。
その根源がなければ、私たちは本当に充実した人生を送ることはできないのです。
したがって人間がファスティングしないことは
その本質そのものを見失うことになるのです。
そして日本人の大半はファスティングをしませんので、根源的な力がありません。
ゆえに人間教=日本教に縛られて、方向性を喪失していきます。
そこから脱出するにはファスティングをおいてほかには方法はありません。