私は昨日、2人の身近な方のことを書きました。
一人はファスティングとその手当を拒否した方、もう一人は、
非常に優秀な看護師で近代医学を収め大きな病院の師長までいった方でしたが、
ファスティングの正しい知識が皆無で食べないことへの恐れのゆえに
自分の命をさえ奪う、恐れだった方でした。
私たち日本人は特にファスティングへの恐れが根強いのです。
しかし、ファスティングは、性急な成果を上げようとする必要なないのです。
体重を数キロも落とさなければならないとか、そのような成果が問題ではありません。
ファスティングそのものが私たちに単純な形で平常心、
つまり平静な気持ちで人生とかかわる態度を教えてくれるからです。
つまり平常心を回復してくれるからです。
私たちも自分の人生の中で溜め込んだものを溢れ出させないように
よく注意していけば平常心を失うことはありません。
私は約30年、断食指導に関わってきました。
しかも25歳から保険営業を開始しましたので、
健康に関する仕事に関わって45年間になりますが、
この間、ファスティングは、特にそうですが、日本では、
ファスティングで何かの成果を急いで出そうとする
ファスティングへの取り組みが圧倒的に多いことです。
それはでは、修道院のファスティングが2000年間も継続して行われているのとは、
かなり取り組みが変わってきます。
日本ではファスティングすることは、
同時にダイエットとかデトックとしか考えていない方が圧倒的に多いのです。
そしてファスティングして、10㎏痩せたとか
そのような眼目に見える現実の成果への関心しかありません。
これでは正直、ファスティングへの深さ、広さを何一つ理解できないのです。
人間ではない動物たちはファスティングを本能的に知っています。
鶏は卵を孵化する時に3週間の断食をしますが、
それは本能としてファスティングを身につけているからです。
しかし、人間は特に神を知らない日本人は、
まったくファスティングの本質見極めて、正しく理解していませんから、
ファスティングをダイエットの道具としてしか考えていないのです。
ファスティングをすることはまさに神の創造の業に参与することなのです。
それは天地創造の記事に書かれていることを正しく受け止めることが必要なのです。
創世記
2:1 天地万物は完成された。
2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
ここで明らかなのはファスティングとは「安息」することなのです。
ファスティングして安息することであるがゆえに
「神は祝福し、聖別」してくださったのです。
ファスティングは安息そのもの、それ以外ではないのです。