藤樹の宿ではファスティングを
日常性の中に取り入れていただくことを主眼にしています。
そして日常生活の中に溶け込ませると
必ず新たな創造が始まることをお伝えしています。
それはファスティングによって私たちを取り巻く
すべての速度や時間の感覚が大変革するからなのです。
そしてファスティングは相反する効果が同時に出るのです。
ファスティングすれば、肉体的には少し、行動が遅くなりますが、
それよりも時間が浮きますので、もはや一分一秒を争うこともなく、
時間を有効活用できます。
これは最大の祝福であり、贅沢なことではないでしょうか。
いつものように時間に追われるのではなく、
時間を渇水のように使えることが可能となります。
そして私は超少食ファスティングにしますと
1・食事を準備し、用意する時間
2・食事をする時間
3・食事の後片付けの時間
4・満腹して休息する時間
これらを1/3に短縮できますから
3倍以上の時間をまさに最大限に有効活用できます。
カシアヌス(360-435・女子修道院創設者)は言いました。
「大食いが心の曇りない、視界をかすませる」
また、修道士フィロクセネスは、
「心の肥満という覆いを取り除かれた人間は、
自分が、今、見ているものとは違うものが存在することを認識しはじめる」
といいます。
そしてファスティングによって、
私たちは自分自身にもっと近づくことが可能だといます。
私たちの中には、いつも自分史を抱えて歩んでいます。
しかし、ファスティングしますと
まずこの自分史という自分自身を縛ってきたものから解放されます。
そしてより自分の魂が鋭敏になりますので、
自分の中にあるどんな小さなゴミでさえも気づくようになります。
そしてそのゴミを除去し、部屋を掃除しようとします。
それは本当の自分と向き合うことのはじまりとなるのです。
そしてファスティングするということは
正真正銘、自分に近づかなければならないことなのです。
いや、自分に立ち向かうことになるのです。
私たちは自分で自分を救うことはできません。
では誰が救ってくれるのでしょうか。
こういいました。
使徒言行録
7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、
肉では罪の律法に仕えているのである。
パウロがいうように本当の救いは、
自分を超えたところの救い主の力が必要なのです。
ファスティングは、自分の今の状態を知るのに役立ちます。
正しいファスティングをしている人は、
自分が不完全な断片的存在であることを自覚し、
救済とゆるしが必要であることを正しく受け止めることができるのです。