ファスティングはこれまで気がつかなかった私自身をとりまく、
多くの富に気づくようになります。
私たちの人生の意味とは何か、それを徹底して把握することができるのです。
私たちの現代社会は、このような感覚は乏しく、あえて聖なるものや、
私たちとは異なるもの、心を揺すぶる神秘的なものへの感性などが、
ほとんど失われています。
そして今、私たちが宗教的で神秘なものに出会うのは、
迷信に属するあやしげなスピリチュアルな新興宗教しかないと思われています。
しかし、ファスティングはこうしたこととは月とスッポンで、
まず、日常的なものを手放すことで、多くの富に気づくようになり、
そして霊的な富を得ることができるのです。
さらに将来への希望をもつようになります。
私たちはよいことが必ず起きるのを待ち受けるようになるのです。
だからすべてを肯定的に見ることが可能となるのです。
だから新しい力が湧いてくるのです。
ゆえにファスティングで私たちは、新しい人生計画を立てられ、
自分自身の将来を見ることができるようになるのです。
このようなファスティングすることで、
魂の奥深い霊的な聖なるものへの畏敬が与えられるのです。
このファスティングの体験が、日本では全く欠落しているので悲劇なのです。
それに気づき、このようなファスティングを回復しなければなりません。
ファスティングがまことにこのような聖なるものであるにもかかわらず、
ヨガで近づくのは大きな問題があります。
真逆の思想、宗教だからです。
私はこのような「ホーリー・ファスティング」(聖なる断食)こそ、
デーモンの支配するこの日本を解放するものだと確信しています。
しかし、残念なことにファスティングの普及に
大きな役割を果たしている方々の大半が、霊的にヨガに立脚しています。
ゆえに正しい「断食哲学」が必要です。
現代社会は、重大な病気にかかっています。
その名の病気の名は、『希望の喪失』です。
今回のコロナでますますその病気は蔓延しています。
この病気は、コロナよりも厄介で、
あらゆる病気の中で最も強い現代の病なのです。
そして本質的な真の生きる力である、希望が奪い取られているのです。
今回のコロナはその支配構造を私たちにみせつけてくれます。
ファスティングについて、ローマカトリックの教皇ヨハネ23世は、
このように語っています。
「私はただ、今日だけ、自分の人生の問題を一時に解決せず、
この1日を味わうように努めるつもりだ。
ただ今日だけ、本当はしたくないこともするつもりだ。
ただ今日だけ、私は二つの悪、性急さと不決断を避けるつもりだ。
今日だけ、私は信じよう。
状況がまったく反対方向を示していても神が私のためにおられることを」。
この言葉は「一日一生」ということなのです。
ファスティングすることで無限の富を得ることができるのです。
まさにファスティングすることは、「神に近づく」ことにほかなりません。
いかなる外部の要因に左右されず、ましてや毎日の食事にも左右されず、
精神も魂も自由になり、活気づくのです。