前の妻があまりにもスタッフのマクロビ食を下嫌いしますので、
一応、夫婦なので食事について私が料理をしていましたので
本当は玄米菜食を取り入れたかったのですが、できませんでした。
しかも妻の信仰がペンテコステだったので、
「マクロビは新興宗教であり、悪霊に支配されている」と決めつけ、
ますます受け付けなくなっていきました。
そして子宮がん摘出手術を選択してしまったのです。
そして周囲や他のスタッフには、「神が癒された」と語っていたのですから
余計に始末が悪いのです。
この手術で入院期間中にある牧師夫妻に来てもらい、
「親戚に不幸ができた」という偽りをいい、留守をお願いしてなのですから、
これは実に牧師として、大きな罪としかいいようがありません。
そのようなことでマクロビを遠ざけたのは
このスタッフのいい加減さが原因でしたが、
私は東城百合子さんの伝えていた
玄米菜食と彼女の伝える手当を復活したかったのですが、
2005年にみごとに封印されてしまいました。
私は以後、玄米菜食から遠のき、普通の料理に目覚めて、
大食家となっていきました。
これはAFCに毎日来る、過食症の霊が乗り移ったとしかいいようがないことでした。
しかも菜食とは真逆の肉や白米中心の食事となって
体重はどんどん増加していき、93kgまでの肥満となってしまいました。
1993年にファスティングして、標準体重になって、
少なくとも10年間は維持できたのですが、あえなく撃沈です。
そしてその妻が正真正銘の境界性人格障害者だと判明し、
私は妻の元を離れて別居します。
この時に出会ったのが「修道院の断食」であり、また以前から読んで参考にしていた
甲田光雄医師の少食ファスティング関連本と東城百合子さんの3つの出会いで、
本来、行く先を知らずにアブラハムのように豊田市から脱出したのですが、
豊田市の1/50の規模しかないものでしたが、とにかくスタートすることにしたのです。
そして玄米菜食と発酵薬膳を使用した
超少食ファスティングを開始することになりました。
まず私を手伝ってくれるパートナーが、発酵薬膳の資格を取得し、
私はもう一度、甲田光雄と東城百合子の著作を丹念に読み、
このブログ「40日ファスティング体験者の本音」を立ち上げて連載を開始しました。
そして日本では玄米菜食といえばマクロビオテックなので
この関連本も読みました。
しかし、まずマクロビはかなりやばいスピリチュアル体系を持つ
ある種の新興宗教のようなものであり、
私は鶴見隆史医師の唱える「ハウエル博士の酵素栄養学」に基づく
玄米菜食と甲田光雄医師の超少食を採択しました。
またファスティングに関しては
石原結實医師のファスティング知識から学ぶことが多く、
こうして3人のファスティングを唱える医師
(甲田、鶴見、石原)の
提唱をベースに「藤樹の宿・超少食ファスティング」が出来上がったのです。
しかし、私の中では
1・藤樹の宿・超少食ファスティングを3年で軌道に乗せる
2・コロナ禍で藤樹の宿・リモートファスティングを5年以内に軌道に乗せる
3・数年以内に超少食ファスティング協会を立ち上げる
4・召されるまでに
でまだ、1と2まで来たばかりで2は進行形です。