かつての日本人は、野菜や穀物、発酵食品など、植物性の食品を中心に食べていました。
こうした習慣は、長い時間をかけて日本人の体質も変化させてました。
中でも日本人の腸は約9m。欧米人に比べて2mも長いのです。
それは植物の消化・吸収に時間がかかるため、長くなったと言われています。
日本人の体で豊富につくられるのは、「炭水化物の分解酵素」。
一方で、「たんぱく質の分解酵素」は少ししか作られないため、小麦など、
日本人の体には負担が大きいのです。
また世界に比べ、すい臓が小さいといわれます。
それは小麦などに比べ、米は糖度が低く、
インスリンの分泌量が少なくて済んだため、お米を中心に食べてきた日本人は、
すい臓が小さいわけです。
穀物は、太陽の恵みを全身に受けて育つ植物です。
中でも最も太陽エネルギーの恩恵を受けています。
古事記の記述によると、日本は「豊葦原の瑞穂の国」とされています。
言葉のとおり、豊かな広々とした葦原のように、
みずみずしく美しい稲穂が実る国という意味です。
また、江戸時代まで、武士の給料や農家が払う税金はお米が中心でした。
土地の生産性を石という単位で表しましたが、太閤検地以降、地租改正まで、
大名・旗本の収入および知行や軍役等諸役負担の基準とされました。
所領の規模は面積ではなく石高で表記され、
農民に対する年貢も石高を元にして徴収されたのです。
しかも田畑や屋敷などの土地の価値に至るまで、
面積に石盛という一定の係数をかけて米の生産力に換算して
石単位で表示するようになったのです。
このような制度を石高制と言い、米以外の農作物や海産物の生産量も、
米の生産量に換算されて表されたのです。
この一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当することから、
これを兵士たちに与える報酬とみなせば、
石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになるのです。
つまり石高は戦国大名の財力だけではなく兵力をも意味していました。
江戸時代の軍役令によると、
大名は幕府の命に応じて表高1万石あたり概ね
2百人程度の軍勢(非戦闘員を含む)を動す。
土地を守り、種を守る米農家は国の宝です。生命力のある食べ物こそ、
未来をつないでいく要となっていました。
また、「稲」は「イネ」で、「命の根っこ」という意味が隠されています。
「米」は「込める・籠める」という意味から古来よりお米は
日本人にとって非常に大切な穀物でした。
そのため様々な儀式や祭礼に使われていたこと分かっています。
つまりお米とは何か神聖なもの・神秘的な力が「こめられた」存在であり、
そこから転じて「こめ」と呼ばれるようになったと考えられています。
現代でも新嘗祭(にいなめさい)を始め、様々な儀式が残っています。
また、お米とはそもそも稲の実であるわけですが、
その「小さな実」を指す「こみ(小実)」「こめ(小目」)」という言葉から転じて
「こめ」になったと考えられています。
「米」という時の成り立ちを調べてみると
元々は稲穂を表す象形文字だったと考えられています。
1本の横線の周りを6本の短い縦線が取り囲むように書かれ、
横向きになった稲の穂先を表現していたのです。
そこから徐々に変化して今の「米」という形になったと言われています。
また「米」という字は分解すると「八」と「十」と「八」に分けることができます。
つまりは「八十八」。
このことからお米づくりのためには八十八もの手順や手間がかかると言われてきました。
農耕機械の進歩などによって昔と比べると農家の負担は大きく減ったとは言え、
まだまだ大変な作業も多くいろいろな手間がかかります。
様々な工夫や手間があってこそ日本人は美味しいお米を食べられているという事実は
今も昔も何ら変わることはないのかもしれません。