私は三重県北部の農家に生まれ、米と大豆、そして養鶏業を営んでいました。
しかし、農家では、あまり現金収入がないので、
両親は工業高校に進学させたかったようですが、それに逆らって、
あえてミッションスクールでもあった私立の農業高校(愛農学園)に入学し、
農業とキリスト教を学びました。
全寮制で玄米菜食、しかも有機農法を選択していく高校でした。
日本は、農業を見捨て、工業立国、高度経済成長に大きく舵を切り、
その結果、実家から40kmしか離れていない四日市市では
大変な公害の被害を目の当たりにしてきました。
農業が急速に傾斜していくなかで愛農高校の掲げるデンマークが国是とした
三愛精神に立って奮闘していました。
農政としかいいようがありませんでした。
このような矛盾がどこから起こったのか、
2002年に発行された「アメリカに餌付けされた食民地」(船瀬俊介著)で
明らかにされています。
この本を読んで日本は先進国で最低レベルの食料自給率になり、
農業が衰退の一途であることが理解できました。
それは日本が太平洋戦争で無条件降伏して敗戦後、
アメリカは軍事的に自立させない占領政策を敷いた結果なのだと船瀬さんはいいます。
その政策とは
1・軍事的な自立をさせない・憲法第9条の制定
2・情報、経済、エネルギー、文化、そして食糧
とくに餌付け政策で「日本人に米を食わせるな、魚を食わせるな、
パンと肉を食わせ、アメリカなしに日本が食糧自給できないようにする」
という餌付け政策が展開されてきた76年間だったのです。
その政策は的中し、アメリカの政策に乗せられてしまいました。
私は少なくとも日本国のほんとうの独立のためには、
最低限ゆずってはならなかったのが、食糧自給率75%を堅持する国家戦略でした。
しかし、日本はアメリカの自立させないという政策をいとも簡単に受け入れ、
それをむしろ推進してきた政治、経済の指導者の責任は非常に大きい。
そして今日、日本人の食生活を見れば、肉とパンが完全に日本の伝統である
お米と大豆などの発酵食を片隅に追いやろうとしています。
これは日本人の魂と体をアメリカに売り渡したのと同然です。
なぜそれが起こったのか。
日本を愛するという国家観が完璧に崩された、
別物にすり替えられたからにほかなりません。
明治時代は少なくとも江戸時代の伝統が強く残り、
確かに欧米に追い付けという近代化政策の中で確かな愛国精神が息づいていました。
新渡戸稲造の「武士道」を読むとそのような息吹を感じます。
しかし、太平洋戦争敗北以後の76年間は、
まさにアメリカの経済上のマインドコントロールでこの国を真の独立国として、
立て直す指導者が存在しなかったのです。
これはひとえに食の支配、つまりパン(小麦)と肉の支配、
つまり胃袋の支配が生み出した餌付けが大成功したからです。
では、肉や小麦がなぜ問題なのかを船瀬俊介さんが書いた2018年に発行した
「肉好きは8倍心臓麻痺(マヒ)で死ぬ」(共栄書房)をベースに
日本の真の独立をめざす玄米菜食リバイバルを起こすためには
何をすべきかをこれから連載していきます。
そして藤樹の宿は玄米菜食リバイバルを起こす起点とならなければなりません。