ワクチンの父であるジェンナーについては教科書にも記載されていますように
「人類初のワクチンの発見である。
それから約200年後の1980年に天然痘はこの世から根絶された。」
が定説なのですが、果たしてそうなのでしょうか。
ある雑誌に「ジェンナーの仕掛けた罠が天然痘撲滅という大嘘を生み出し、
ワクチン信仰を確立してしまった」と批判されています。
では事実はどうなのかです。確かにジァンナーの種痘法は、
イギリスを始め世界各国で熱狂的に受け入れられます。
そして乳幼児はすべて強制的に種痘の接種を受けました。
しかし、1800年の後半になると欧州では天然痘は収まるどころか
爆発的な流行となっていきます。
1870年から10年間でドイツだけで100万人以上が罹患し、12万人が死亡。
その96%が種痘を受けていたのです。
受けなかった人はわずか4%で、
受けたのにもかかわらず大流行で当時のドイツ首相であった
ビスマルクはこのような通達を出しました。
「おびただしい数の天然痘の患者数は、種痘が原因である。
天然痘を予防する牛痘接種は完全な偽りだ」と。
そしてジェンナーの母国イギリスでは、種痘がすべて実施されたとたんに
天然痘が大流行し、2万人が死亡します。
そして流行は毎年増加し、1872年年間で44480人というおびただしい死者を出します。
それでもイギリス国家の強制種痘が続行され、
拒否したものは刑務所にいれられる有様で、
ようやく1978年に種痘禁止が出ます。
明治新政府はイギリスにならい強制種痘制度を導入します。
しかし、1892年に16万人の種痘患者が発生し、約3万人の死者が出ています。
そして日本は1955年に天然痘の患者は出ていないのに種痘の義務接種が継続されます。
見習ったイギリスでは1948年に義務接種は止めているのに
日本は1976年の中止までイギリスから28年遅れていますが、
この間、種痘が原因の脳炎による死亡者、後遺障害で苦しむ被害者が続出したのです。
この犠牲者はゼロ歳児、1歳児ばかりでした。
国に認定された1586人の子供たち。天然痘が日本国にないにも関わらず、
28年間も平然と強制的に接種してきたのは何故なのかです。
ウィキには天然痘についてこのように解説しています。
・・・疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年の大村藩の医師の文書が初出である[3]。ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い[注釈 1][4]。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。天然痘は人類史上初めてにして、唯一根絶に成功した人類に有害な感染症である(2021年現在)。・・・
その他にもワクチン接種で爆発的な感染が拡大したものがあります。
まず
1・ジフテリア
・・・ジフテリア菌がおもに呼吸器の粘膜に飛沫(ひまつ)感染しておこる急性の感染症で、感染症予防・医療法(感染症法)により2類感染症に分類されている。流行期は冬であるが、都市部では年間を通じてみられる。かかりやすいのは幼児と小児で、10歳以上の年長児や乳児に少ないのも特色である。(日本大百科全書「ジフテリア」の解説)・・・