アメリカ大陸に進出した時に西欧に流行していた細菌を大陸に持ち込んで、
原住民のインディアンが全滅していくことになります。
インカ帝国滅亡も細菌戦争の敗北です。
そして近代以降は、化学兵器が開花します。
そして今日では気象兵器、地震兵器まで登場しています。
また電磁兵器は更に深刻です。
相手側に有害電磁波を浴びせまくり、行動能力を麻痺させるのです。
これらを非殺傷対人兵器といいますが、これは無差別攻撃兵器なのです。
国連で科学・生物兵器は禁止の国際条約を定めているのであり得ないというのは
バカ丸出しで、禁止に署名した国々は
すべて秘密裏に化学兵器、生物兵器の開発を展開しているのです。
かつて日本では731部隊(石井部隊ともいう)が
中国人捕虜と政治犯をマルタとよび、化学兵器、生物兵器の実験台にした
世界でも特異なことをやってのけたのです。
これは森村さんが「悪魔の飽食」で明らかにしました。
戦争が負けると寸前までこのマルタは3000人いたようですが、
軍部は証拠隠滅のため、3000人全員を重機乱射で殺戮し、
死体の山を重油をかけて焼却したのです。
そこで研究されていた生物兵器は、ペスト、コレラなどの病原菌でした。
しかし、戦後は、遺伝子組み換え技術による生物兵器となります。
それは遺伝子DNAの発見です。
辞典にはこのようなことが書かれています。
・・・遺伝子の化学的本体がDNA(またはRNA)であることは、1940年代にOswald Avery等の細菌の形質転換やファージの遺伝子組換えの実験から明らかになっていたが、1953年のWatsonとCrickのDNAの二重らせんモデルが提出されるに及んで、細胞分裂の際にDNAがもととまったく同じ分子を正確に複製する仕組みや、DNAのもっている遺伝情報がRNAを経てタンパク質に伝えられる仕組み(Central Dogma)がすべて明らかにされた。・・・
しかし、この遺伝子を発見したのは、何とカトリックの修道士メンデルです。
日本大百科全書(ニッポニカ)「遺伝子」の解説には次のような説明があります。
・・・チェコのブルノの町で修道院の司祭をしていたメンデルは1865年にエンドウの交雑実験の結果をまとめて『植物雑種の研究』という論文を発表した。この論文はのちに「メンデルの法則」とよばれるようになった遺伝の原理を示したものであるが、このなかでメンデルは、親から子孫に生殖細胞を通して伝えられ、遺伝形質を決定するものの存在を推定し、これを「要素」とよんだ。メンデルが初めて明らかにした遺伝の要素は、1909年にデンマークの遺伝学者のヨハンセンによってドイツ語でゲンGenと名づけられ、日本語では「遺伝子」とよばれるようになった。その後、主としてショウジョウバエを用いた研究から遺伝子と染色体の関係が明らかにされ、アメリカの遺伝学者T・H・モーガンが1926年にその著書『遺伝子説』で主張したように、遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子であると考えられるようになった。1940年代には、遺伝生化学や分子遺伝学研究が発展し、遺伝子は染色体をつくる核酸の一種であり、酵素分子の働きを支配して遺伝形質を決定することが明らかにされた。1960年代には、遺伝子のもつ遺伝暗号がすべて解読され、遺伝情報の発現機構が解明された。さらに1970年代には、遺伝子の人工合成が可能になり、また細胞から取り出した遺伝子を異種の細胞に入れて増殖させ利用する遺伝子工学技術が発展してきた。・・・
その遺伝子がまさか生物兵器になろうとは、メンデルもビックリでしょう。