こうしてアメリカの巧妙な小麦消費戦略は大成功です。
成功した理由は、巧妙な飢餓と貧困を利用した小麦大国アメリカの戦略でした。
そしてアメリカは肉食文化であり、余剰肉が次に控えていました。
そして日本は小麦消費が増加していくと肉食になっていきます。
パンと焼き魚、アジの開き、ウルメのいわしなど合うはずがありません。
パンとステーキ、ハムはセットであり、味覚大革命が戦後の日本です。
そのマジックはアミノ酸バランスです。
多く含まれるのがお米です。
特にビタミンEは体内で作られませんので外部から食物で補う必要があり、
お米は最適です。
このようなお米はアミノ酸バランス最適なのですが、
残念ながらパンは最もアミノ酸バランスが悪い食物です。
全粒粉は別ですが精白された白いパンは、
肉を食べて、美味しいと感じるようになっています。
パン食に移行することは同時に肉食が同時進行していきます。
そしてアメリカの畜産業界は小麦戦略で大儲けとなります。
同時にパンに合うのは、牛乳、コーヒー、紅茶です。
これらすべてアメリカの産業であり、
アメリカの農産物、食品の最大の消費国となっていきます。
これでアメリカの餌付けは大成功です。
ただ小麦輸出国として最大のライバルであった
カナダも日本に小麦を売り込み1956年、輸出は逆転してしまいます。
そこでアメリカはハッチソンというバウムに続く工作員を送り込み、
強力なアメリカ小麦のキャンペーンを展開していきます。
学校給食はいかにパンと牛乳がいいのかという映画、
そしてテレビ漫などで洗脳戦略を開始します。
アメリカの狙いは永久的な食の支配でした。
日本の指導者はこれが食糧安保の重大な瀬戸際であることをあっさり放棄してしまいます。
そして学校給食はパン食が1951年から全国に普及していき、
1954年に「学校給食法」が成立します。
しかも同年に日本使節団はアメリカ余剰農産物買い付け交渉に行くのです。
この年は朝鮮戦争も休戦協定となり、
日本使節団は小麦の無償提供を期待していましたが、
アメリカは最初から罠にハメる計画だったのです。
小麦粉と脱脂粉乳は無償提供するけれでもその条件とは
1・学校給食に限ること
2・小麦は1/4づつ減らして贈与する
3・日本政府は4年間、年間185000トンの小麦中心の学校給食を維持せよ
つまり無償提供はするが、パン給食の規模を小さくしてはならない。
そして無償提供が減ったからと言って規模を小さくせず、
減った分は自費で買いなさいという、実に巧妙に仕掛けられた罠だったのです。
つまり大量の小麦を買わせる計画に日本政府はまんまと乗せられたのです。
そして日本の食生活は大革命が起こってしまうのです。
これは日本の悲劇の始まりです。
その悲劇とは食糧自給率が急減していく始まりとなった悲劇です。
敗戦までの日本は、1年間に135kgの米を食べていました。
1日当たり370gです。
1合で150gとすればお茶碗で1日7杯食べていたのです。
戦争中は食糧配給でも年間100kgでした。
そして1955年に117kg、しかし、1980年には85kg、1999年は67kgと戦前の半分です。
その減った分が小麦に代わり、アメリカの餌付け政策は大成功です。