近代医療は医薬品という毒物のゆえに副作用が深刻な健康被害をもたらしています。
それまで西欧では修道院がハーブとファスティングを中心とした医療を行い、
東洋では中国の漢方、インドのハーブ医療などが主流でした。
まとめますと
1・同種医療(ホメオパシー)
2・自然医療(ナチュロオパシー)
3・心理療法(サイコセラピー)
4・整体療法(オステオパシー)
5・薬物療法(アロパシー)
があります。
しかし、19世紀以降は5だけを残し、1~4は排除されていきました。
しかも5は薬物利権を生み出し、
膨大な利益を製薬会社と政府にもたらすものとなったのです。
そして5を中心とした教育機関が近代医学であり、
薬学となっていずれも全部、グルで莫大な利益を生み出す構造となっています。
近代医学は解剖の発達とロベルト・コッホとルイ・パスツールによって
細菌学が確立されてから、対処療法が中心となります。
しかし、医聖ヒポクラテスは、
★「食事で治せる病気なら、薬は奥の薬壺にしまっておきなさい」といいました。
またアメリカの医学博士は
★「間違って食べて病気になったものはどんな名医でも治らない」
★「食べるあなたのパンが白いほど早く死に近づくのだ」
そしてあの医聖ヒポクラテスは
★「食で治せない病気は、医者はこれを治せないのだ」
と上記2の自然医療(ナチュロオパシー)の重大性について説いています。
江戸の名医であった中神琴渓は、『生々堂治談』の中で、
「病気になっても薬を飲ませなければ、まともに医者にかかったのと同じことだ」
と書いています。
また同書には、
「軽い病気を重くしてしまう医者がいなくなれば、天下の病人は8割減るだろう」と。
まことに近江に生まれた中神琴渓の言葉は、
そのまま今日の日本の医療従事者たちが、
塵灰を被って聞くべき警鐘として言葉ではないか。
※【中神琴渓】
近江山田村の農家に生まれたが、大津の医家中神氏の養嗣子(しし)となった。30歳を過ぎてから医学を志し、吉益東洞(よしますとうどう)の医説に深く傾倒し、彼の著作『古方便覧』『方極』を読んで独学自修し、大いに得るところがあった。1791年(寛政3)48歳で京都に移り、医業を開き、古医方を唱えた。医師としての評判は高く、当時の京都の医家の四天王と称された。のち江戸に赴き、また諸国を遊歴して自説を広め、門人は3000人とも伝えられる。『生々堂医談』『生々堂傷寒約言』『生々堂治談』など、門人が記録した著書がある。