日本では断食といえば仏教系の断食(注・01)となりますし、
最近では、ヨガ系(注・02)の断食が多くなりました。
しかし、それは日本だけ通用するものであり、世界では、
断食のテキストは聖書なのです。
一神教は断食宗教といえます。
これから聖書を基礎に聖書の断食について様々なアプローチをしていきます。
私は聖書の断食について預言者イザヤの言葉が中核だとみています。
58:6 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
58:7 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。
58:8 そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。
58:9 あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら
58:10 飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。
その前に誤った断食姿勢についてイザヤは厳しく
ユダヤ人に問いただしているのです。
58:3 何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。
58:4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない。
58:5 そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。
(注・01)仏教の断食
上座部仏教の僧侶は律(Vinaya)に従い、正午の食事以降は物を食べない。
これは断食とは考えられてはおらず、むしろ瞑想を補助する修行の手段。
日本では密教系統の仏教では断食が重要な修行法となっている。
欲念を去り、心身を清浄にすることが目的。
(注・02)ヨガの断食
これは、ヨガで瞑想やポーズ・深い呼吸を行うことで意識が段々研ぎ澄まされ、
心身のリフレッシュ・体内のデトックスをより強く望むようになるからと言われています。
ヨガとヒンズー教は一体なのですが、
ヒンズー教では個人個人の考えと地方の慣習に基づき、
異なる種類の断食があります。
「エカダシ」(14日間周期の月相の11日目)や、
「プルニマ」(「満月の日」)のような特定の日に断食を行うようになっています。