「修道院の医術」の書き出しでロヨラのイグナティウス(注・01)は
このように書いています。
・・・私たちは自分の体のことをあまり神経質に考えるべきではない。
しかし神に全力を尽くしてお仕えできる健康と強さを維持するために、
必要なことはなんでもすべきであろう・・・
まさに神のために健康の維持は必須であり、
医術をフル活用すべきだというカトリック最大の修道士、
イグナティウスが語ったように修道院では
医術こそ修道士(女)たちの最大の行為だったのです。
この伝統は修道院の中で2000年間、今もなお継承されていきます。
リキュール、ハーブセラピーなど2000年の伝統を継承しています。
そして積み重ねられた医術の知識に裏付けられた修道院の医術を
2000年の経験と知識の宝庫である修道院でさらに深さを増しているのです。
こうしたことがヨーロッパ文化を創り出してきたともいえます。
現代社会の生み出した近代医学の限界が見えてきた今日、
もう一度、2000年の修道院の医術がみごとに開花し、脚光を浴びているのです。
ヨーロッパの医学と保健衛生を目覚ましく発達させ、体系化したのは修道院でした。
5世紀から11世紀までの時代、治療の専門知識、技術をもっていたのは
修道院しかなかったのです。
その修道院をベースに看護専門の近代的な病院制度の設立へと向かっていったのです。
(注・01)
イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラ1491年10月23日- 1556年7月31日)は、
カトリック教会の修道会であるイエズス会の創立者の1人にして初代総長。
ロヨラは1522年3月25日にモンセラートのベネディクト会修道院を訪れた。
そこで彼は世俗的な生き方との決別を誓い、
一切の武具を聖母像の前に捧げ、カタルーニャのマンレザにある洞窟の中にこもって
黙想の時を過ごした。
そこでロヨラは啓示を受けたとされている。
ここにいたってロヨラは世俗の出世を捨て、
ひたすらわが身を聖母に捧げることを誓った。
このころ、ロヨラはすでに『霊操』の原案ともいうべきものをまとめていた。
これは彼のもとに霊的指導を求めてやってきた人に対して行った
一連の黙想のテーマ集であった。
『霊操』の影響はイエズス会にとどまらず、
以後のカトリック教会全体にまで及ぶことになる。
彼は6人の重要な同志を得ていた。
フランス出身のピエール・ファーヴル、
ロヨラと同じくバスク出身のフランシスコ・ザビエル、
スペイン人のアルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、
ニコラス・ボバディリャ、そしてポルトガル人のシモン・ロドリゲスであった。
1534年8月15日、ロヨラと6人の仲間はモンマルトルの丘に登り、
サン・ドニ記念聖堂で唯一の司祭だったピエール・ファーブルのたてる
ミサにあずかって、神に自分の生涯をささげる誓いを立てた。
世に言う「モンマルトルの誓い」である。
彼らの立てた誓いは「今後、7人はおなじグループとして活動し、
エルサレムでの宣教と病院での奉仕を目標とする。
あるいは教皇の望むところならどこでも赴く」というものであった。
これがイエズス会の始まりである。