カトリックの修道士たちが医学にどのように貢献したのか、
この本では次のように指摘されています。
・・・西欧の修道院医学は、仏教の僧院と比べてもはるかに革命的で
大きな成果をあげています。
この時代(中世)の修道士たちは、医術の分野では
彼ら自身が自覚していたことよりもはるかに多くのことをなしとげています。
彼らは古代から伝えられていた知識の上に、
ただの民間療法の経験を付け加えたのではありません。
医学という分野に、新しいコンセプトを誕生させたのです。
たとえばカロリング王国(注・01)では、
誰にでも平等によい医療を与えるという国家の方針であり、病院の設立でした。
こうした活動は隣人愛(カリタス)、慈悲がもとになっていました。
この基本精神が重要な働きをしていたのです。・・・
では修道院の医療知識はどのように蓄積されたのでしょうか。
いやそれ以前になぜ修道院はなぜ医術とかかわりをもったのかです。
そもそもすべての始まりはイエスとその弟子たちからです。
イエスは福音書に書かれているように癒し主であり、医師そのものでした。
医師キリスト(クリストゥス・メヂィクス)なのです。
ドイツでは救い主を「ハイラント」といいますが、
古代ドイツ語では「ヘイラン」(癒す・救う)が語源なのです。
アンティオキアの聖イグナティウス(注・02)は、
紀元110年に初めてイエスを「医師」と呼びました。
アレクサンドリアの聖クレメンス(注・03)は、
イエスを「癒し手」と讃えています。
聖クレメンスは次のように語っています。
・・・神の子イエスは、ハイラント(救世主)である。
人間の健康と治癒に効くスピリチュアルなクスリをみつけられてからである。
彼は健康を守り、障害を発見し、苦しみの原因を明らかにし、
不合理な欲望の根を断ち切り、治癒食のレシピを書き、病人によく効く、
あらゆる解毒剤を処方しておられる。・・・・
(注・01)カロリング王国
この名称は家門中もっとも傑出した人物、カール大帝にちなんだものであるが、
王家の系譜がメッツ司教アルヌルフおよびアウストラシア地域の大豪族
大ピピンにさかのぼるため、アルヌルフ家またはピピン家ともよばれる。
北は北海から南は中部イタリアに至る西ヨーロッパの大部分の政治的統一が達成され、
800年、カールは教皇レオ3世の手でローマ皇帝として戴冠された。
カールはまた古典文化の復興にも力を注ぎ、
アルクインをはじめ多くの学者たちの努力により、
(注・02)アンティオキアのイグナティオス
(35年頃 - 107年?)アンティオキアの第2代主教(司教)。
正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで
聖人とされる。使徒教父の一人。
(注・03)聖クレメンス
(150年? - 215年?)初期キリスト教を代表する神学者の一人。
エジプトのアレクサンドリアで活躍したためこの名で呼ばれるが、
エジプト出身ではなくギリシアのアテナイの出身と考えられている。
ギリシア教父と呼ばれる一群の神学者の一人で、オリゲネスとならんで