両親はヒルデベルト、妻メヒティルトの10女で洗礼名が、
ヒルデガルトでした。父は貴族でしたが偉大な業績を残してはいません。
しかし、十字軍と後世に言われる時代の大転換期。
そして成長していくヒルデガルトは他の娘とは変わったことが多々あるのです。
5歳のヒルデガルトは、妊娠した大きな親牛をみてお腹の中にいる子牛には、
額と脚の背中に斑点があるのが見えると語ったのですが、
その通りの子供が生まれたそうです。また、彼女はこういいます。
「私は3歳の時に魂がぐらつくほどの強い光を見ましたが、
まだ子供だったので誰にも言いませんでした」と。
そして次のようなことも後に書いています。
「8歳の時、自分を神に霊的供え物として捧げました。
15歳の時まで、多くのものを見ましたが、時には見たままのことを話しました。
私の話を聞いた人々は、そのおようなことはどこから来るのか、
いったいどんなことなのかと尋ねたものです。
私は驚きませんでした。
魂の内で見たことは、外的にも見ていましたし、
そのことは他の人には起こらないと分かっていましたので、
魂の内に見ていたことを、できるだけ隠すことにしました。
外的生活の多くについては無知でした。
母の乳を飲んでいたころから、たびたび病気でこれが後には発育を妨げ、
体力を鍛えることができなかったからです。」
後に書かれたこの文章のようにヒルデガルトは
乳母にも聞いても見たことがないと言うし、幻視を受けても理解されなかったのです。
生まれつき虚弱なヒルデガルトの周囲の人たちは
その特異な能力にただ当惑するだけでした。
そのような能力を持つ娘だったので、
両親は若い女性、ユッタ(注・01)に教育を委ねます。
そしてデカコルド(注・02)を教えます。
ユッタ(注・01)
ドイツ語圏の女性名。ユーディト(旧約聖書外典の『ユディト記』に登場する人物)の短縮形。
シュパンハイム伯の娘で、ヒルデガルトの両親が住んでいた
アルツァイ近郊のディジボーデンベルク修道院女で
ヒルデガルトの驚くべき素質を知り、教育を引き受けた。
当時、教育のために女子を修道院に預けることは通常であった。
ユッタの修道院ディジボードデンベルクは、
男女併存修道院(一つ屋根であるが男女別々の生活をしていた)であり、
この修道院は3,4世紀に建設されている。
ここの修道院では、聖コロンバン(543年-615年)に従って島を離れ、
ヨーロッパ各地に修道院を設立していた。
今もこの修道院は残存している。
後にヒルデガルトはディジボード伝を書いている。
デカコルド(注・02)
詩編を歌うための伴奏楽器。当時の教育は詩編を歌うことから始められた。
そして読み方を習うのは、詩編を覚えることだった。
記憶した詩編の言葉を聖書の中に見つけるように教育されたのである。
これは一種の総合的な方法で語彙をすでに知っているので
読み書きとは記憶の中に記された言葉を書写板に写し取るという方法。