最近、ヒルデガルトの医学や治療、薬草(主にハーブ)などの著作が
多く出版されるようになりましたが、まだ日本では、
霊的な著作「道を知れ」やファスティングの著作が発行されていません。
早くどこかが出版してほしいものです。
ヒルデガルトの見た幻視は、人(homo)を使用していることです。
これは人間的存在を意味することで、
彼女は預言者のように召されたことを意味するといいます。
このことを彼女は生涯語り続けたのですから、
預言者そのものであったといえます。
そして「命ある光」が自分に語る事だけを繰り返して伝えたと言います。
そして彼女の代表作「道を知れ」は10年間(1141-1151年)をかけて書かれたのです。
この書だけではなく、多くの仕事をこなしています。
そして彼女の著作には多くの挿絵があり、
ルッカの図書館に保存されている著作には素晴らしい挿絵が保存されています。
フォーマル修道士は生涯、ヒデガルトの贖罪司祭、
ユッタを通しての相談役であり秘書でした。
この修道士を通して、ディージボーデンベルクの男女併存修道院の修道士たちは、
また見ているのです。
しかし、男子修道会の教会権威者であるクノーは、
所属教区の責任者であるマインツのハインリヒ大祭司に知らせます。
ヒデガルトの幻視について、困惑しましたが、
教会会議が近くで開催されることもあり、
ヒルデガルトの「道を知れ」の著作が教皇に知るきっかけになります。
教会会議はドイツの最古の都市、トリーア(注・01)で
壮大な舞台が展開されたのです。
それは世界的に知られる城門ポルタ・ニグラ(注・02)で
皇帝コンスタンティヌス(注・03)が築いたものです。
トリーア(注・01)
モーゼル川沿いに位置するトリーアは[2]、古代からの交通の要衝地であるとともに、
古くからフランス文化の影響を濃厚に受けていることもあり
ドイツワイン発祥の地であり、世界的ブランドとして有名な
モーゼルワインの一大生産地である。近隣の都市としては、
約95キロ北東にコブレンツ、約40キロ西にルクセンブルクが位置する。
フランスのメスにも近い。1995年には大洪水によって大きな被害を受けている。
城門ポルタ・ニグラ(注・02)
186年から200年にかけてローマ市壁の北門として建造されたものであるが、
中世になると放棄され、別の建造物を作るために一部が破壊された。
1025年から1035年に没するまで門跡地で過ごした
ギリシャ人の隠者シメオンを記念し、
新たに身廊や尖塔などを建てて城門を覆う形で「聖シメオン教会」として
機能転用された。
しかし、1805年、フランス革命軍がこの地を占領した際、
ナポレオンの命によりローマ時代以外の建造物は
アプスを除いて取り除かれてしまったため、ポルタ・ニグラも城門跡として
元の姿に戻された。現在ではトリーアの観光スポットとなっている。
1986年に「ローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母マリア教会」として
世界遺産に登録された。
皇帝コンスタンティヌス(注・03)
ローマ帝国の皇帝で在位は306~337(副帝時代含む)。
帝国後半期の最も重要なローマ皇帝であり、正式にはコンスタンティヌス1世、
「大帝」といわれる。
3世紀中頃の軍人皇帝時代の混乱を収拾したディオクレティアヌス帝に次いで、
その創始した専制君主政を確立したが、一方ではその四分統治による対立の中で
勝ち抜き、単独帝政に戻した。ローマ帝国の皇帝専制政治を再建したが、
新都コンスタンティノープルを建設して支配の重点を東方に移した。
また、313年にはキリスト教を公認するという大転換を図り、
325年のニケーア公会議では教義の統一をはかった。
しかしその死後、皇帝位は再び分裂し、キリスト教公認も
一時期撤回されるなど混乱の時期を経て、
4世紀末には帝国の東西分裂が明確になり、西の帝国は476年に滅亡する。