ローマ教皇、エウゲニウスの書いた手紙は凄い内容です。
一地方の女子修道院長にこうした手紙を書くのはよほどのことです。
そしてこの手紙の最後に書かれてあることは、
ヒルデガルトたち18名の修道女たちの移転を許可したもので、
その地こそ「ビンゲン」(注・01)なのです。
これまで住んでいた修道院が手狭であったこともあって、
その場所は、ルーペルツベルクといい、ビンゲルブリュックにあります。
様々な反対もありましたが奇跡も起こり、ルペルツベルク女子修道院が建設されます。
その後、17世紀後半 直轄領ということが災いし、
その後フランス軍によって支配されます。
この時ルペルツベルクの女子修道院も破壊されて放棄されてしまいました。
しかし、ヒルデガルトの墓地や幻視をもとにしたモザイクなどは残されました。
そしてこの地は19世紀になると
ドイツ・ローマン派運動(注・02)を引き起こしています。
またこの地ではネズミの塔(注・03)の伝説が有名です。
「ビンゲン」(注・01)
ドイツ・ラインラント=プファルツ州マインツ=ビンゲン県に所属する地方都市。ナーエ川に面して建つ聖マルティン(聖マルティヌス)教会を中心にライン川に沿って広がる小さな町の周囲は、緑の森のなだらかな丘に囲まれ、また町の中心の小高い丘には現在は市庁舎となった中世の姿を留めるクロップ城が建っている。ライン川沿いには埠頭が整備され、対岸にはヘッセン州のリューデスハイムと呼ばれる葡萄畑の広大な丘陵地帯が広がる。 今日ビンゲルブリュック地区と呼ばれるナーエ川の対岸はやはり葡萄畑の丘陵地帯で、近年になって開かれてきたが、かつては中世の女予言者として知られたヒルデガルト・フォン・ビンゲンの建てたルペルツベルク女子修道院があったことで知られる。しかし今ではその名は通りの一部に残されているにすぎない。(ウィキ)
ドイツ・ローマン派運動(注・02)
ドイツはもともと形而上学的思考を好む国民性があるだけに、ロマン主義はいっさいを自我の所産とするフィヒテの絶対的観念論やシェリングの神秘的な自然哲学に大きく影響されながら深化し、芸術家の自己創出であるとともに自己超克でもある「ロマン的イロニー」の概念を中心に絶対・無限なるものへの憧憬を難解な詩(ポエジー)理論、というより一種の哲学に結晶させた。ノバーリス、ティーク、ついでブレンターノ、アルニム、クライスト、ヘルダーリン、ジャン・パウル、それにアイヒェンドルフ、ホフマン、シャミッソーなどの幻想作家や若きハイネなどがロマン派に数えられる。(日本大百科全書)
ネズミの塔(注・03)
ネズミにまつわる伝説は,ネズミの害から人々を守ってくれるという聖女ゲルトルートGertrud(祝日3月17日)の話をはじめ非常に多い。ドイツのビンゲンの〈ネズミの塔〉の話は,飢えた民衆を焼き殺させた冷酷な僧正が異常発生したネズミに食い殺されるという内容。北ドイツの〈ハーメルンの笛吹き男〉の伝説は,ネズミの害に手を焼いたこの町を訪れたまだら服の男が,報酬を約束した市民に笛を吹いてネズミを全滅させたが,違約に腹を立て4歳以上の子どもたちを山へつれて消え去るというものである。…(世界大百科事典)