ビンゲンから少し離れたザンクト・ゴアルハウゼンには、
ハイネ(注・01)の詩で有名になったローレライ(注・02)の岩山があります。
またライン川沿いには、多くのブドウ園があり、
ドイツのブドウ栽培の中心地であり、同時にブドウ酒の中心地なのです。
また、今も無傷の13世紀のマルクスブルク城があり、
12世紀のブラウバッハには城も教会も存在します。
つまりここはドイツ・ロマン派を醸し出す場でライン川沿い100kmに及ぶのです。
その中央に位置するビンゲンにヒルデガルトは
女子修道院の院長となった1148(または1150)年頃、
このような共同体形成に大きく寄与した2人の聖人伝を書いています。
・聖ディーズボード
・聖ガール
そして「いのちを得るための書」を書きます。
このような文章が残されています。
私が受けた紛れもない幻視の中で、鉄面皮の霊(悪霊)が
いかに私たちに対して戦いをしかけているかを見て、大変、心配しました。
見るところこの悪霊は、私の気高い娘たちを、様々な空しい事柄を通して、
網の中に閉じ込めていました。従って神から教えを受けた私は、
娘たちを教え、集め、聖書の言葉と戒律をしっかり身に着けさせました。
しかし、ある者たちは、私を悪しざまに見、
私から強いられる戒律厳守に耐えられないと言うのです。
けれども神はあらゆる苦しみにあって私を助けていた
他の正しく賢い姉妹たちを通して、私を慰められました。
神がスザンナのために行われ、偽証から救われたようにです。
私を弱めるこの種の苦悩から来る疲労にもかかわらず、
私は神の恵みによって、神から明かされた「いのちを得るための書」を
順調に書き上げることができました。
ハイネ(注・01)
ハイネは1797年12月13日、デュッセルドルフのユダヤ人の家庭にハリー・ハイネ。『歌の本』などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、若き日のマルクスとも親交があり、プロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えた。文学史的にはロマン派の流れに属するが、政治的動乱の時代を経験したことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表している。平易な表現によって書かれたハイネの詩は、様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれている。
ローレライ(注・02)
ローレライという語は、古ドイツ語の "luen" (見る、潜む)と "ley" (岩)に由来している。ドイツのラインラント=プファルツ州のライン川流域の町ザンクト・ゴアールスハウゼン近くにある、水面から130mほど突き出た岩山、あるいはその岩にいるとされる精霊の伝承のことである。伝承を基にしたハインリヒ・ハイネの同名の詩もまた有名である。