日本のファスティングは、世界標準から
大きく逸脱していることをたびたび書いてきましたが、
このようなことを叫んでいるのは極めて少数です。
日本の断食を指導する方の大半は、聖書を読まず、
聖書がファスティングの基礎であることを無視し、
しかも自己勝手にファスティングを語るのは神への冒涜です。
あるサイトに「あめてらすファスティング」というのがありました。
そもそも日本の天照大神(あまてらすおおみかみ)が、
ファスティングをしたという記録は一切ありません。
ましてや天照大神はウィキの説明によれば、
日本神話に主神として登場する神であり、女神であり、
高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされ、
太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれています。
太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持ち、天岩戸の神隠れで有名な神で、
神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮・・と解説されています。
あくまで神話の神であり、歴史上に存在した人格の神でもなく、
聖書はこのような神を偶像と完璧に退け、断罪しています。
聖書からみたら冒涜罪なのです。
なぜならファスティングは聖書に立脚したものであり、
さて聖書の断食の歴史を見ますとまず、4000年前にエジプトを出た時から、
ファスティングが開始されました。
それが律法という神との契約に発展していきます。
ユダヤ人は原則として週に2回(月曜、木曜)は断食日でした。
永遠に守るべきものとしての神との契約だったからです。
士 20:26 イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、
主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、
焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。
律法の解説書、タルムードには、
「祈っても願いが聞き入れられない者はただちに断食しなければならない」と
あります。
それはユダヤ人イエス・キリストの40日間ファスティングから始まります。
イエスがガリラヤで伝道に入る前に40日40夜の断食をされたのは、
このような砂漠だったということを忘れてはならないのです。
新約聖書には次のように書かれています。
マタイによる福音書
4:1 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
4:2 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
イエスはこのように福音書に描かれたように束縛の縄目を解き放ち、
新しい掟をもたらすために活動されたのですが、
当時のユダヤ教は、ファスティングも含めた律法があまりにも煩雑詳細を極め、
そうした律法を無効にし、新たな風を吹き込んだのです。
ユダヤ人は原則として週に2回(月曜、木曜)は
ファスティング日を制定しました。
永遠に守るべきものとしての神との契約だったからです。
ファスティングはユダヤ教、キリスト教、イスラム教だけではありません。
仏教でも若き日のブッダは、悟りを開くために、
過酷なファスティングを何度も行っています。
また仏教を産み出したインドにはヒンズー教があります。
この宗教も断食は宗教修業の必須なのです。
ファスティングは人間が宗教的に進歩するのには
必須条件とされているのです。
ファスティングをともなわない世界宗教も世界共通の信仰などあり得ないのです。